ロック黄金時代を体感!ニューヨーク、音楽ゆかりの地をめぐる旅

1960~’70年代の音楽の革命期、ロック全盛期のゆかりの地が多く残るニューヨークボブ・ディランやジョン・レノン、ジミ・ヘンドリックスなどが愛した大都会だ
photo&text: Hidehiko Kuwata
special thanks: ニューヨーク市観光会議局
https://www.nyctour
映画『名もなき者』の冒頭のシーンに登場する、1959年オープンの「カフェ・ワ?(CAFEWHA?)」は、ボブ・ディランがニューヨークにやって来て最初に演奏したクラブだ。当時、このクラブはニューヨークのフォークシーンの登竜門的な存在だった。ディランの個性的な歌い方はオーナーのマニー・ロスに気に入られて、その後は頻繁にこのクラブに出演するようになり、ディランの最初期のキャリアを構築する重要な舞台のひとつとなった。この地下にある隠れ家のようなクラブのステージには、その後もジミ・ヘンドリックス、ブルース・スプリングスティーン、ルー・リードなど、多くの伝説的アーティストたちが出演した。1968年にオーナーとクラブ名が変わり中東系の音楽を聴かせるクラブになるが、1987年に「カフェ・ワ?」として再開され現在も営業を続けている。

ディランの評判はあっという間にグリニッジ・ヴィレッジで広まり、見事にレコード契約を得る。この時期にすでに高い評価を得て“フォークの女王”と呼ばれていたジョーン・バエズに出会う。ディランはまだ無名の若きシンガーだったが、バエズは彼の才能にいち早く気づき、自身のライブでディランを前座に起用するなど積極的に支援した。2人は一緒にコンサートツアーに出るようになり、同じモーテルに滞在し、夜通し語り合うようになる。当然のごとく2人は恋人同士になるが、ディランにはロトロという恋人がすでにいて、バエズとの恋愛は映画にも描かれているように“三角関係”で進行していく。2人のロマンスと音楽的パートナーシップがもっとも輝いていたこの時期を過ごしたのが、グリニッジ・ビレッジの「ワシントン・スクエア・ホテル」だ。
ディランの初期のキャリアでもうひとつの定宿となったのが、1883~’84年にかけて、ニューヨークでは初の協同住宅として建設された「チェルシー・ホテル」だ。ディランは1965年頃にこのホテルの211号室に滞在しており、1967年のアルバム「ブロンド・オン・ブロンド」に収録されている『ジョアンナのヴィジョン『』ローランドの悲しい目の貴婦人』をここで書いている。また1976年の傑作アルバム「欲望」に収録されている『サラ』という楽曲の歌詞には“チェルシー・ホテルで何日も眠らずにあなたのために『ローランドの悲しい目の貴婦人』を書いた”という一節がある。


曲のタイトルにもなっているサラとは、1965年11月にディランと結婚した女性で、1960年代初頭からニューヨークでモデルとして活動し、彼女もホテル・チェルシー(ディランの隣の部屋という説もある)で暮らしていた。この時代、ホテル・チェルシーにはジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックス、レナード・コーエンなども暮らしており、当時このホテルはカウンターカルチャーの中心として機能し、多くのアーティストたちが集まり交流しながら創作活動を行った場所だったのだ。

1960年代後半から’70年代のロック黄金時代に、スーパースターたちの拠点となったホテルが、1963年に開業した「ニューヨーク・ヒルトン・ミッドタウン」だ。セントラルパーク、ラジオシティ・ミュージックホール、ロックフェラー・センターなどの象徴的な場所に隣接し、マンハッタンで最大級の規模と有数の立地の良さを誇り、大きなイベントや著名人の宿泊施設としてランドマーク的なポジションを確立してきた。ビートルズは1964年の渡米時、当時大人気だったTVショウ「エド・サリバン・ショウ」出演のためにニューヨークに滞在し、ペントハウスにチェックインしている。以降、ローリング・ストーンズ、ザ・フー、レッド・ツェッペリンなど、多くのイギリスのバンドが滞在するようになり、世界的に有名なロックスターたち
が頻繁に宿泊するホテルとして知られていく。


ニューヨーク・ヒルトン・ミッドタウンのグランド・ボウルルームは、長年にわたり多くの音楽関連のイベント会場として利用されてきた。中でも1975年4月18日に行われたジョン・レノンのパフォーマンスは、キャリアの中でも重要な瞬間のひとつとして記憶されている。この時の出演がジョンにとって生前最後の聴衆を前にしてのライブ・パフォーマンスとなったのだ。これはテレビ特別番組「SalutetoSirLew-TheMasterShowman」の収録のために行われたもので、ジョンは真っ赤なジャンプスーツ姿でステージに登場し、「BOMF」というバックバンドとともに『スリッピン・アンド・スライディン『』スタンド・バイ・ミー』、そして『イマジン』の3曲を演奏した。

ジャズの生みの親であるルイ・アームストロングは妻のルシールとともに、1943年から’71年に亡くなるまでクイーンズのコロナにある邸宅で暮らした。この邸宅はルイの没後に未亡人のルシールによってニューヨーク市に寄贈され、現在は「ルイ・アームストロング・ハウス・ミュージアム(LouisArmstrongHouseMuseum)」として一般公開されている。館内には彼が実際に使用していた家具やオーディオ、楽器、貴重な資料などが展示されており、彼の生活や音楽に触れることができる。2023年には向かいに「ルイ・アームストロング・センター」がオープンし、彼の大切なアーカイブの新しい拠点となっている。


最後にニューヨークに行ったらぜひ訪ねてほしいジャズクラブを紹介しよう。それはアッパー・ウエスト・サイドにある「スモーク・ジャズ・クラブ」だ。ポスト・バップ・ジャズを支えた名ピアニスト、ハロルド・メイバーンは「スモークは世界最高のジャズクラブだ!」と称賛する。1999年にオープンしたクラブで、質の高いライブ演奏が楽しめることで知られ、ベテランから若手まで幅広い層のミュージシャンが出演している。優れた音響設備が備わっており臨場感あふれる生演奏を満喫できる。アットホームな雰囲気がフロアを包み、ミュージシャンと観客の距離が近いことも大きな魅力だ。加えて料理の美味しさは格別で、ワインリストも充実している。P.B.






