1. HOME
  2. TRAVEL
  3. 天才プリンスの故郷を巡る旅-パープルレインの舞台へ
TRAVEL

天才プリンスの故郷を巡る旅-パープルレインの舞台へ

TRAVEL

1984年、プリンスの代表作『パープル・レイン』の多くのシーンがこの街で撮影されたそしてプリンスの名前とともに、ミネアポリスは世界有数の音楽都市として名を馳せていく

photo & text: Hidehiko Kuwata

2016年4月21日、プリンスは自身の生活と創作活動の拠点だった「ペイズリー・パーク」で突然この世を去る。57歳という若さだった。その知らせはミネアポリスだけでなく世界中に衝撃を与えた。まもなく街全体が紫色に染まる追悼イベントが開催され、プリンスの初期のキャリアの拠点であり、出世作『パープル・レイン』の舞台となったナイトクラブ「ファースト・アベニュー」の前には多くのファンが集まり、花やキャンドルを捧げた。今もなお、プリンスの存在はミネアポリスの街に深く刻まれている。彼の創り出した音楽と精神は、この街を訪れる者たちを惹きつけ、未来を目指すミュージシャンたちに多大な影響を与え続けている。

ファースト・アベニューやペイズリー・パークをはじめ、ミネアポリス周辺にはプリンスゆかりの地が多く点在している。ダウンタウンにあるプリンスのお気に入りのクラブ「ダコタ・ジャズ・クラブ」、無名時代から亡くなる直前まで足繁く通ったレコードショップ「エレクトリック・フィータス」など、どこを訪ねてもプリンスの偉大かつ親しみやすい足跡が残されている。プリンスはミネアポリスで生まれ育ち、その生涯をこの街で過ごした。彼が生み出したミネアポリス・サウンドの響きは永遠に紫の光を放ち続けるだろう。プリンスの音楽の旅は終わらない。プリンスのレガシーとともに、若いミュージシャンたちが次世代の音楽をミネアポリスから発信し続けるのである。

プリンスが独自の美的センスとフィロソフィを注いで1987年に設立したペイズリー・パークは、レコーディング・スタジオ、自宅、コンサート・ホールを含むユニークな複合施設である。ミネアポリス郊外のチャナッセンという小さな町にあり、敷地面積は約6,000平方メートルという広大な施設で、生前、一部のメディアに部分的に公開されたことはあるが、その全体像は長年に渡り秘密のベールに包まれていた。そのペイズリー・パークが2016年10月6日についに一般公開され、現在ではミネアポリスを代表する観光スポットとなっている。

ペイズリー・パークのツアーは、メンフィスにあるエルヴィス・プレスリーの邸宅「グレイスランド」のツアーを運営しているグレイスランド・ホールディングスが担当している。ペイズリー・パークの公開はプリンスが自ら計画し、実現を望んでいたことだった。現在公開されている部屋の中には、プリンスが生前使用していたままの部屋もあれば、衣装や数多くのメモラビリアを飾るために改装した部屋もある。レコーディング・スタジオを含め、どのように改装し、どのように公開するのか、こういったことすべてをプリンスは信頼していたスタッフたちの手に委ねていた。当初、プリンスの死後わずか6ヶ月での公開は時期尚早ではないかという意見もあったが、この広大な敷地と立派な建物を維持するには、常に入念なメンテナンスが必要となる。しかも内部には7,000点を超えるプリンスのメモラビリアの数々、そして貴重な楽器や機材が保管されており、これらのコンディションを正常に保つには相当な手間と費用がかかり、放置するわけにはいかなかった。一般公開における収益はペイズリー・パークの施設維持、所有する貴重なコレクションの保存に充当させているという。

ペイズリー・パークの小さなロビーに入るとカラフルな間仕切りがあり、さらに進むと自然光が射し込む吹き抜けのゆったりとした広間に出る。床には有名なプリンスのシンボル(日本ではラブシンボルとも呼ばれている)が描かれ、壁面にはゴールドディスクや写真が飾られている。この広間にはセラミック製のペイズリー・パークの縮尺模型が設置され、これは特別製の骨壷でプリンスの遺骨はここに埋葬されている。

広大な邸宅の中で、1階にあるレコーディング・スタジオ、ビデオ編集スタジオ、プライベートなパフォーマンスに使ったサウンドステージやリハーサル・ルームなどが公開され、ステージ衣装、楽器、バイク、受賞トロフィーなど多くのメモラビリアもテーマ別に展示されている。見学のハイライトであるスタジオAは、『Lovesexy』以降の『Batman』、『Diamonds&Pearls』などの代表作から、キャリア後期、独自のジャズ・ファンクを追求した『RainbowChildren』といった、プリンスの足跡のアイコンともいうべき多くの作品がレコーディングされたスタジオだ。機材の電源は24時間オン状態で保たれ、プリンスのひらめきを逃すことなく録音していった。コンソールにはプリンスのシンボルが刻印され、スタジオ内は彼が使用していた当時のまま保存されている。コントロール・ルーム内にはプリンスが愛用したギターやキーボードとともに、直筆の手書きメモなども飾られている。彼は死の直前まで次回作となる予定だったジャズ・アルバムのレコーディングをここスタジオAで続けていた。

内装にアーチ状のレイアウトを効果的に取り入れたペイズリー・パークは、ロサンゼルスの建築家、ブレット・ソーニーが設計した建物で、総工費は1980年代中期で15億円に及び、完成までに3年の歳月を費やしている。各部屋は「グラフィティ・ブリッジ」や「パープル・レイン」など、プリンスのアルバム・タイトルがテーマとして設定されており、ハイライトはやはりパープル・レイン・ルームである。スクリーンに登場したパープルのモーターサイクル、のちにトレードマークとなる白いクラウド・ギター、数々のコスチューム、アカデミー賞、グラミー賞という映画と音楽がともに獲得したオスカー、そして台本など、『パープル・レイン』関連のメモラビリアが並ぶ。続くサウンド・ステージには紫色のピアノ(ヤマハ製)がセットされており、このピアノをプレイした1984年1月のステージが、プリンス最後のペイズリー・パークでのパフォーマンスとなった。膨大な数があるという未発表音源や映像が保管されている地下の“TheVault”と呼ばれる保管庫、本人のゴージャスな住居だった2階は未公開である。

ペイズリー・パークを見学したら、ミネアポリスに戻って映画『パープル・レイン』ロケ地を巡ってみよう。まずは映画撮影の主要な舞台となった前述のライブハウス「ファースト・アベニュー」。プリンス自身もここで数多くのライブを行っており、外壁の一番目立つ場所に彼の名前が金色の星で描かれている。ファースト・アベニューから2ブロック南西方向に歩くと、映画に登場した楽屋のシーンが撮影された「オーフィウム・シアター」がある。ここは1920年にオープンした美しい内装を持つ歴史ある劇場で、1980年2月9日、プリンスは初の黒人ミュージシャンとしてこの劇場で演奏している。

ミネアポリスの中心から約7km南東方向にある[3420SnellingAvenueSouth]には、映画の中でプリンスが演じた主人公“ザ・キッド”が住んでいた家として登場する、通称「パープル・レイン・ハウス」が残されている。この家は映画の中で重要な役割を果たし、彼の私生活や葛藤を象徴する舞台となった。プリンスは亡くなる前年にこの家を購入している。昨年、この家がAirbnbによって期間限定で宿泊可能となり、室内には映画に登場した内装が施され、ファンがパープル・レインの世界観を体験できる機会が提供された。

ファースト・アベニューから南に2.5kmの[20004thAveSouth]には、プリンスが足繁く通った1968年創業のレコードショップ「エレクトリック・フィータス」がある。プリンスはこの店の常連客であり、亡くなる5日前にもやってきて、ジョニ・ミッチェル、スティービー・ワンダー、サンタナなどのCD6枚を購入している。彼の死後、この店は彼を追悼する特別展示を行い、彼が愛した音楽とミネアポリスへの貢献を振り返る場を提供した。プリンスファンにとってはまさに聖地のような存在である。

ファースト・アベニューから徒歩で10分ほど南にある[1010NicolletMall]には、ミネアポリスを代表するクラブ「ダコタ・ジャズ・クラブ」がある。このクラブの雰囲気を愛していたプリンスはたびたび訪れるようになり、時折サプライズの出演をするなど、クラブの発展に貢献した。晩年にはここで小規模なライブやリハーサル的なセッションを開催し、プライベート感のあるパフォーマンスを披露している。2013年1月にはここで3夜連続のパフォーマンスを行い話題となった。プリンスは亡くなる2日前にもここを訪れ、生前、彼のために常に確保されていたテーブルに座り、地元の若手バンドのプレイを楽しんでいたという。P.B.