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MANCHESTER TO LONDON

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1990年代の世界の音楽シーンを語る上で欠かせない存在であるオアシス成功の背後には、彼らの故郷であるマンチェスターの影響が色濃く反映されている

photo & text: Hidehiko Kuwata

トミーとペギーのギャラガー夫妻は、ポール、ノエル、リアムの3人の息子たちを連れて、1972年にマンチェスター郊外のバーネイジ地区に引っ越してきた。当時、一家の問題はアルコール依存症で暴力的だった父親のトミーで、これが原因となり兄弟は片親同然の幼少期を過ごしている。その後、夫の暴力に愛想を尽かしたペギーは離婚を成立させ、3人の息子たちを連れて夫の元を離れて同地区にある小さな家(写真右下)に移り住んだ。学校をずる休みしがちなギャラガー兄弟だったが、中でもノエルは無断欠席の常習者となり、13歳の時に万引きが原因で半年間の保護観察処分を受ける。彼がラジオから流れてくる音楽を聴きながらギターを覚えたのはこの時期である。

警察の世話になることもしばしばあったノエルは、15歳の時に退学処分となる。建設会社やガス会社などで働くようになるがどれも
続かなかった。しかしこの頃から本気で曲を作り始め、ストーン・ローゼズのライブで音楽に開眼したリアムは、家の近所にあった中古レコードショップ「シフターズ」に入り浸るようになる。店のオーナーである“ミスター・シフター”ことピート・マッケイブ氏は、様々なジャンルの音楽をノエルに紹介しながら多大な影響を与えた。彼は店内で掘り出し物のレコードを探しながら、「将来はジョニー・マーのようなギタリストになりたい」と語っていたという。オアシスの楽曲『Shakermaker』の歌詞には、シフターズとミスター・シフターが登場し、この曲のミュージックビデオには、シフターズの外観や店内、そしてレコードを選ぶリアム・ギャラガーの姿が映し出されている。

ビートルズに出会いジョン・レノンに大きな影響を受けたノエルは、リアムがボーカルをつとめていた「レイン」というバンドに参加することになり、これが後のオアシスに発展していくのである。彼らのサクセスストーリーは「ザ・ボードウォーク」というマンチェスター市内のナイトクラブから本格的に始まる。ノエルという卓越したソングライター、リアムというカリスマボーカリスト、この2つの才能が融合したオアシスは、ここで初のライブを行う。ノエルが加わることでバンドの音楽性は一気に進化し、そのソングライティング能力はオアシスの核となっていった。

オアシスの成功に欠かせないもう一つの場所が、伝説のクラブ「ザ・ハシエンダ」だ。このクラブはファクトリー・レコードとニュー・オーダーが共同で設立し、当時、マンチェスターの音楽シーンに革命をもたらしていた。ノエルとリアムはハシエンダで行われる数々のライブセットやDJセットに触れることで、ダンスミュージックの要素を取り入れ、彼らの音楽的な感性をさらに磨いていったのだ。ハシエンダの自由で革新的な雰囲気は、オアシスのサウンドと精神に大きな影響を与えたのである。

1993年、オアシスはスコットランドのグラスゴーにあるナイトクラブ「キング・タッツ・ワー・ワ・ハット(KingTut’sWah Wah Hut)」でのライブがきっかけで、クリエーション・レコーズのアラン・マッギーに発掘され、この出会いがオアシスの運命を決定づけることになる。1994年にリリースされたデビューアルバム『Definitely Maybe』は、マンチェスターのエネルギーと反抗心を体現する作品として瞬く間に成功を収め、イギリスのチャートで1位を獲得。ブリットポップムーブメントの先駆けとなる。翌年のセカンドアルバム『(What’stheStory)MorningGlory?』からは、『Wonderwall』、『Don’t LookBack in Anger』、『Champagne Supernova』などの大ヒット曲が生まれ、オアシスは世界的な大成功を収める。

1997年にリリースされたサードアルバム『Be Here Now』は、前作に比べて音楽性が変化し賛否両論を呼んだ。ギャラガー兄弟の不仲はデビュー当初から存在していたが、とくに顕著になってきたのはこのアルバム以降である。制作費の肥大化や過剰な演出など様々な問題点が指摘されると同時に、ノエルのソングライティングのマンネリ化や、リアムの傲慢な態度などが目立つようになり、以前にもまして兄弟間の確執が深まっていったのだ。アルバムのリリース後、オアシスは大規模なワールドツアーを敢行したが、兄弟間の不仲は悪化の一途をたどり、ライブ中に喧嘩が勃発することも度々あった。その後もアルバムをリリースするごとに兄弟の不仲は深刻化し、2009年の解散へと繋がっていくのである。

ロンドンにあるオアシスゆかりの場所

オアシス・ファンのみならず、多くのロックファンが記念撮影をするロンドンのフォトスポットがある。アルバム『(What’s the Story)Morning Glory?』のジャケット写真の撮影場所となった、ソーホー地区のバーウィック・ストリート(写真右上:ブロードウィック・ストリートとの交差点付近)だ。全世界で2,200万枚以上を売り上げ、1990年代を代表するアルバムの1枚でもあるこのアルバムによって、オアシスは一気に世界的なスターダムを駆け上がった。ジャケットのコンセプトは“朝の喧騒”。バーウィック・ストリートは早朝から活気に満ち溢れる場所であり、オアシスのメンバーは、この街のエネルギーをアルバムジャケットに込めようとしたのだ。周辺は当時オアシスのメンバーがよく通っていたクラブやパブが集まるエリアで、写真に写っている二人の人物は、DJのショーン・ローリーとオアシスのデザイナーであるブライアン・キャノンだ。

続いてロンドンのカムデンタウンにあるクラブ「ラウンドハウス」。オアシスは1994年3月14日にラウンドハウスで初めてライブを行っている。このライブは彼らがブレイクするきっかけとなった。その後も1995年2月、1996年10月、2005年7月、2008年7月2日とブレイク後も出演を続けている。ノエルはオアシス解散後、自身のバンド、ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズとして、2015年7月25日と26日にラウンドハウスでライブを行っている。そしてオアシスのドキュメンタリー映像作品『オアシス:スーパーソニック』では、ラウンドハウスでの彼らのライブ映像が楽しめる。

2009年、パリのロックフェスティバル「ロック・アン・セーヌ」での兄弟喧嘩がきっかけとなり、ノエルが「リアムとはもう1日も一緒に活動できない」としてバンドを脱退しオアシスは解散した。以来、再結成の噂は絶えることがなかったが、2024年8月27日、ついに「2025年に世界ツアーを行うために再結成する」と正式に発表された。リアムは再結成に前向きな姿勢を示しているが、再結成の背景には様々な要因が囁かれている。一部のメディアでは「ノエルは妻サラ・マクドナルドとの離婚により多額の財産を失った」と報じられており、この経済的損失が再結成を決断する一因となった可能性が高いという。

再結成ツアーは2025年7月4日のイギリス・カーディフのミレニアム・スタジアムを皮切りに、彼らの故郷マンチェスターのヒートン・パーク、ロンドンのウェンブリー・スタジアム(写真下)をはじめ、世界中のスタジアムで大規模なライブが予定されており、日本公演は10月25・26日に東京ドームで開催される。P.B.