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ボブ・マーリーを生んだ街、ジャマイカ、キングストン

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レゲエは1960年代後半にジャマイカで誕生し、BobMarleyというスーパースターを生み出した故郷キングストンの「ボブ・マーリー博物館」やトレンチタウンで、レゲエ文化に触れる

photo & text: Hidehiko Kuwata

キングストンはボブ・マーリーの故郷であり、レゲエ音楽とジャマイカ特有の文化に包まれた個性豊かな街だ。彼のレガシーはレゲエの発展と結びついており、この街を訪れることで、彼の音楽の背後にある物語や、その影響を受けた文化を体験することができる。なかでも「ボブ・マーリー博物館」と「トレンチタウン」は、キングストンの音楽的遺産を理解するための重要なスポットとなっている。今回はこれらの場所を中心に、キングストンの魅力を紹介しよう。

レゲエの聖地「ボブ・マーリー博物館」

まず訪れるべき場所は「ボブ・マーリー博物館」だ。この博物館はボブの死後、家族が住んでいた邸宅を改装したもので、彼の生涯や音楽キャリアを紹介する展示が豊富に用意されている。これらを見学することで彼の生涯を追体験することができ、訪問者はボブ・マーリーというアーティストがどのようにして“レゲエのアイコン”となったのか、ということを知ることができる。

博物館内にはボブが残した数々の記念品やメモラビリアの数々が展示されている。壁面には彼がステージで着用していた多くの衣装やオリジナルアルバムのカバーなどが飾られ、館内各所には彼が長年愛用していたギブソンのギター、レコードプレーヤーなど、音楽を愛した彼の軌跡となるアイテムが並んでいる。博物館前を走る幹線道路ホープ・ロードを見渡せるボブのオフィスとして使用された2階の部屋には、自身の使用痕が多く残されたビジネスデスクが置かれ、その隣室にはレゲエのルーツであるアフリカ文化が反映された装飾があり、彼の創造力の背景や影響力をより深く実感することができる。改めて彼の生み出した音楽
の力や伝えたかったメッセージについて考えさせられる。

さて博物館内で一番の見どころは、入口を入ってすぐ左側にあるボブ専用のレコーディングスタジオである。このスタジオからは『NoWoman,NoCry』、『IShottheSheriff』、『IsThisLove』など、ボブの代表作となる多くの楽曲が生まれた。ボブの最高傑作とされているアルバム『Exodus』も大部分がこのスタジオで制作され、生涯、彼の創作活動の拠点となった場所である。

スタジオはアコースティックなサウンド設計が施され、それに適した録音機材が揃っており、レゲエの独特なリズムやサウンドを生み出すには最高の環境となっている。このスタジオはボブが1981年に亡くなるまで使用されており、彼の素晴らしい音楽キャリアを象徴する場所となっている。彼の死後もスタジオは当時のままの状態で保存され、彼のレガシーを我々に伝える場として一般公開されている。

1976年12月3日、家族とともに暮らしていたこの邸宅に武装集団が侵入し、ボブは胸と腕に銃弾を受け、妻のリタ・マーリーとマネージャーも負傷した。この襲撃事件の背後には、当時のジャマイカの複雑な政治情勢があり、ボブの影響力を恐れた勢力が関与していた可能性が指摘されているが、犯人やその動機については未だに明確に解明されていない。襲撃事件の現場となったキッチンではこの事件に関する展示も行われており、当時の様子を知ることができる。ボブは幸いにも致命傷を免れたが、事件後はジャマイカを離れ、数年間イギリスに滞在して活動を続けることになる。

レゲエの発展に貢献したトレンチタウン

トレンチタウンはボブ・マーリーが育った地域であり、彼の音楽が生まれた土壌がここにある。この地域はジャマイカの音楽シーン、特にレゲエの発展において重要な役割を果たした場所で、スラム街ゆえの貧困や社会的問題が集積する地区だったが、逆にそれら負の要素が創造的で活気ある音楽シーンを育んでいったのだ。

9歳の時に母親とトレンチタウンに引っ越してきたボブは、次第に音楽に真剣に向き合うようになり、後に大成功を収める「ザ・ウィラーズ」をともに結成することになるピーター・トッシュやバニー・ウェイラーに出会う。この時代のトレンチタウンでの貧しい暮らしや仲間たちとの絆について歌った曲が、ボブの名曲『NoWoman,NoCry』だ。

無名時代のボブが暮らしていた家や、仲間と音楽を作り、様々な議論を繰り返した中庭は、「トレンチタウン・カルチャー・ヤード」として保存されており見学可能だ。ここはボブの音楽とメッセージがどのように育まれたかを示す重要な場所であり、彼の生涯やレゲエ音楽の発展の軌跡がわかりやすく展示されている。トレンチタウンのストリートには、地元アーティストたちによる色とりどりの壁画が描かれており、ボブ・マーリー他、多くのレゲエアーティストたちの笑顔が街を彩っている。とはいえ、ボブが当時直面した貧困や社会的問題が現在でも色濃く残る場所でもあり、実際に歩いてみると、ボブの音楽に秘められたメッセージがどのようにして人々の心をつかんだのか、またどのようにして地域の人々に希望を与えたのか、そのあたりの理解が一層深まり、彼の音楽をより感動的に受け取ることができるだろう。

ボブが設立した「タフ・ゴング・レコード」

1970年にボブは自身のレーベル「タフ・ゴング・レコード」を設立した。タフ・ゴングとはボブのニックネームであり、不屈の精神と逆境にあっても音楽を通じてメッセージを発信し続けるという姿勢をアピールした名称である。当時のジャマイカの音楽業界は大手レーベルが支配しており、アーティストが正当な報酬を受け取れないことが多かったため、ボブは自身のレーベルを通じてアーティストの権利を守ろうとしたのである。

博物館に残るスタジオはボブ専用だったが、タフ・ゴングのスタジオでは、ピーター・トッシュ、ブラック・ウフル、デニス・ブラウン、スティール・パルスなど、多くのレゲエアーティストがレコーディングを行い、世界的に知られるレゲエの名曲が生み出された。ボブの家族によって運営されているこのスタジオは現在も稼働しており、ボブ・マーリーの遺産として大切に守られている。訪問者に向けた見学ツアーも催行されており、こちらでもレゲエ音楽の歴史に触れることができる。P.B.

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