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North Italia Wine Country – 個性豊かなテロワールを訪ねる、北イタリア ワイン紀行

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イタリアワインの楽しみは、なんといっても地域ごとの多様性にある。各地のテロワールを感じながら様々な土地のワインをテイスティングしてみると、かつてイタリアはそれぞれの地域が独立した小国家だったことがよく理解できる。それほどまでにテロワールを反映し、個性的で、ローカル色が豊かなのだ。これこそがイタリア特有のワイン文化である。イタリアのワイナリーは数世代に渡る長い歴史を持っているところが多く、そのほとんどはファミリービジネスだ。ワインツーリズムにおいても思ったほど観光化されておらず、数百年の歴史を擁するワイナリーなどを訪れると、まるでタイムスリップしたかのような錯覚を覚えるほどだ。今回は北イタリアに点在する印象的なワイナリーを訪ねてみた。

text & photo: Hidehiko Kuwata

テロワールを反映した個性豊かなイタリアワイン文化に出会う珠玉のワインツーリズム

 ヴェネチアの北西方向およそ100キロの場所に位置するトレンティーノ地方。中心にはアディジェ川が流れ、その両側には標高2,000メートルを超えるドロミテ山系の急斜面がそびえる。この斜面の標高300~800メートルの周辺は、昼夜の寒暖差が極端に激しく、ミネラル分が豊富な石灰岩と苦灰岩の土壌が広がっており、D.O.C.トレントのブドウ栽培の中心となっている。このブドウ作りに最適な環境の中で、長年に渡って世界最高クラスのスプマンテ(スパークリングワイン)を造り続けているのが、1902年創業の「フェッラーリ」だ。

 創業者であるジュリオ・フェッラーリは、長年、シャンパンと同格のスプマンテ造りを模索していた。フェッラーリを創業した年、彼はブドウ栽培を学んでいたフランスのモンペリエからシャルドネの苗を持ち帰り栽培を始める。その後はトレントの旧市街にある自社の小さなワイナリーで、瓶内二次発酵によるスプマンテの生産を開始した。そして4年後、このシャルドネで造ったフェッラーリのスプマンテは、ミラノ国際博覧会で金賞を受賞し、同社の躍進が始まるのである。

 シャンパーニュと同じ「メトド・クラシコ方式」を取り入れ、手間と時間をかけて醸造させるフェッラーリのスプマンテは、イタリア内外で高評価を獲得する。生産数も順調に伸びていき、1952年には生産数が1万本を超え、ビジネスの規模は拡大が続いた。しかし後継者のいなかったジュリオは、この年フェッラーリ社の事業を信頼できる長年の友人であるブルーノ・ルネッリに託す決断をする。事業を引き継いだルネッリ・ファミリーは新しいワインセラーを建設し、高品質を維持しながら新しい商品を次々に開発する。生産数は大きく飛躍し、フェッラーリの市場における立ち位置を盤石なものにしていった。

ジュリオ・フェッラーリ・リゼルヴァ・デル・フォンダトーレ

 1971年には『フェッラーリ・ペレル・ミレジム』、翌’72年には『ジュリオ・フェッラーリ・リゼルヴァ・デル・フォンダトーレ』という、後にフェッラーリのフラッグシップとなるスプマンテのファースト・ヴィンテージを送り出す。ルネッリ・ファミリーによる事業拡大は順調に推移し、1982年には100万本生産を達成した。現在のフェッラーリの事業は3代目が引き継ぎ、エノロジストをマルチェッロ、ファイナンスをマッテオ、マーケティングをカミッラという、ルネッリ3兄弟が担当している。

 「ファミリーでやっているからこそ、細部にも時間をかけて “フェッラーリ” の質を高めていけるのだと思います。たまにはケンカもしますけど、目指しているものは同じなので問題はありません。ジュリオが今の “フェッラーリ” を見たら、絶対に喜んでくれるはずです」。

 こう話すカミッラは創業者ジュリオの孫娘にあたる。ワイナリーの案内とテイスティングをサーブしてくれた彼女は、まさにバリバリのキャリアウーマンといった雰囲気だ。フェッラーリの瀟洒なロビーには、白い大理石の床に真っ赤な絨毯が敷かれ、左右に立てかけられたパネルには、政財界の重鎮、ハリウッドスター、F1やスポーツ界のスーパースター、世界的なオペラ歌手、ロックスターなど、フェッラーリに関わりのあるセレブリティの写真が並ぶ。内外の公式晩餐会やパーティなどでサービスされることの多いフェッラーリ・スプマンテらしく、写真に写っているのは各界の大物ばかりである。

フェッラーリ社があるトレンティーノ=アルト・アディジェ州の州都、トレントの街の中心にある「ドゥオモ広場」。高品質の農作物とワインは街の主力産業でもある。

 フェッラーリのトップラインである前述の『ジュリオ・フェッラーリ・リゼルヴァ・デル・フォンダトーレ』を含めて、素晴らしいテイスティングを楽しんだ後、カミッラはファミリーが所有する「ヴィッラ・マルゴン」を案内してくれた。アディジェ川の右岸、標高400メートルに位置する自社畑に囲まれた場所で、16世紀に建造された大邸宅である。邸宅の壁面は、16世紀にここに招待された様々な芸術家たちが描いたフレスコ画で飾られ、驚くことに約500年を経た現在でも鮮やかな色合いは褪せることなく、オリジナルのまま完璧な状態で保存されている。ルネッリ・ファミリーの栄華を象徴するヴィッラだ。


 「リヴィオ・フェッルーガ」のあるフリウリ・ヴェネチア・ジョージア州は、北側がオーストリア、東側がスロヴェニアと国境を接し、南側はアドリア海に続いている。この地域はイタリア屈指の白ワイン産地で、中でもD.O.C.コッリオに代表される高級白ワインの評価が高い。5世代に渡ってブドウ栽培、醸造を手がけてきたフェッルーガ・ファミリーは、1951年にこの地に移り住み、2つの世界大戦を乗り切ってワイン造りを継続させてきた。先代にあたる4代目は、ここロザッツォの丘陵に28ヘクタールのブドウ畑を購入し、プレミアムなホワイトワインをフラッグシップに、同社の礎を築いたのだ。
 「プレミアムワインは畑で育てて、セラーで仕上げる」がフェッルーガ・ファミリーのポリシーだ。テイスティングと、セラーとブドウ畑の案内をしてくれたエルダの父であるリヴィオは、”フリウリのワイン造りの父” と呼ばれ、ロザッツォの丘陵で栽培されるローカル品種であるフリウラーノ単一品種の『フリウラーノ』はじめ、エレガントなプレミアムワインを世に送り出してきた。1956年から使用されているリヴィオ・フェッルーガの印象的なラベルは、ファミリーが愛するコルモンスにある彼らのプロパティを含む丘陵地帯のマップだ。

ジョルジョ・オデロ

上段の写真は小高い丘の上に建つ「フレッチャロッサ」のヴィラ・オデロの外観と内部。下段は別棟にあるテイスティングルーム。とことんオーガニックにこだわったワイン造りを実践している。

 「フレッチャロッサ」のあるパヴィーア県はロンバルディア州の南端に位置し、このワイナリーはジェノヴァの北方約100キロのカステッジョの町外れにある。この地域では最古のワイナリーで、創業者のマリオ・オデロは、第一次世界大戦の終わりにこの土地を購入している。

 2代目のジョルジョはミラノ大学で農学を専攻し、アカデミックな知識を有したワインメーカーとして活躍した。彼の時代にフレッチャロッサのワインはイタリア内外で高評価を獲得し、イタリア王室やインド総督の御用達ワインとなった。彼はビジネス面でも優れており、早くから輸出に力を入れ、禁酒法が解除された米国にいち早く輸出を始めている。現在はジョルジョの娘、マルゲリータが夫のカリージョとともに経営の指揮を執っている。

 カステッジョはブルゴーニュやボルドーと同じ緯度にあり、土壌は粘土と石灰というワイン造りに最適なテロワールに恵まれ、古代ローマ時代からワイン産地として知られていた場所である。この畑で栽培されたフレンチクローン100%のピノネロ種で造られるエレガントな味わいの『ジョルジョ・オデロ』がフラッグシップだ。

 「ラトエヨ」のあるヴァッレ・ダオスタ州は、ヨーロッパの最高峰であるモンブランやマッターホーンに囲まれた、イタリアで一番小さな州である。現オーナーのサライヨン・フェルナンダが2000年に創業したブティック・ワイナリーだ。自宅のガレージのような入り口を入ると小さなセラーがあり、その奥が手造り感いっぱいのテイスティンルームになっている。ブドウ畑は標高600メートルあたりの傾斜面にあり、立地上各区画は狭く、1ヘクタールあたり1万本という高密度の植え込みで、1株あたり5~6房のみの収穫だが、この低収穫率により高品質のブドウの収穫が可能になっている。フラッグシップである『フミン』は、まさにこのテロワールを反映した出来栄えである。


PerfectBOAT 2021年9月号掲載
https://www.fujisan.co.jp/product/1281681872/b/2146809/