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聖地巡礼

聖地巡礼 #07 Michael Rybovich & Sons Custom BoatWorks(マイケル・ライボビッチ・アンド・サンズ・カスタム・ボート・ワークス)

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アウトリガー、ファイティングチェア、ツナタワー、トランサムドア……Rybovichが生み出し改良したスポーツフィッシング艤装の数々そしてコールドモールド建造法を確立した、初のスポーツフィッシングボートビルダー”Rybovich is Rybovich”

text:Yoshinari Furuya 
photo:Kai Yukawa,Michael Rybovich & Sons Custom BoatWorks
specialthanks:Michael Rybovich & Sons Custom BoatWorks
http://michaelrybovichandsons.com

ノースカロライナのロアノーク島を中心としたカスタムビルダーの聖地を巡る旅が終わり、2016年はサウスフロリダの聖地を巡る旅が始まる。カスタムボートビルダーが集積するフロリダの聖地は、ノースカロライナと同じガルフストリームが流れるフロリダ半島の大西洋沿岸。ビッグゲームのポイントが集まるバハマやビミニ諸島に近い「パームビーチ」周辺から、セールフィッシュが郡章というマーティン郡の郡庁所在地「スチュアート」周辺にボートビルダーが点在する。そこには、スポーツフィッシングが早くから根付いた歴史がある。ノースカロライナのカスタムスポーツフィッシャーよりさらに古い伝統と、リゾート地フロリダのチャーターボート・キャプテンが育てたカスタムボートビルダーの伝説が今に伝わる地。その歴史あるカスタムボートビルダーの中でも、スポーツフィッシングボートの原型を創り、歴史に名を残すカスタムボートビルダーのレジェンド「Rybovich(ライボヴィッチ)」を訪れることにした。

「Rybovich」と言えば、スポーツフィッシングの歴史に登場する現代のスポーツフィッシャーの原型を建造したビルダーとして知られている。初のスポーツフィッシングボートとしてIGFAMUSEUMで紹介される唯一のボートビルダーでもある。ピュアスポーツフィッシャーの生みの親「Rybovich」。このレジェンドから、スポーツフィッシャーの歴史は始まった。

「Rybovich」の歴史はJohnRybovichが1910年にパームビーチに移り住んだ時から始まった。パームビーチで生計をたてるために始めたフィッシングのビジネス。フィッシャーマンとして生計をたてながら、自身のスキフを大工の木工技術を活かしメンテナンスした。その技術の高さを見た他のフィッシャーマンやチャーターボート・キャプテン達が修理を依頼。多くのボートがメンテナンスのために持ち込まれるようになった。そして地元のフィッシャーマンやチャーターボート・キャプテンの要望を取り入れ、今までにない構造や素材を使い、艤装に改良を加える。アウトリガーやファイティングチェアなどの艤装品の開発や改造が評判を呼び、依頼は増え、ヤードは徐々に拡大。また、息子のJohnnyやTommyはヘミングウェイと釣行にでかけることで多くを学び、ヘミングウェイの愛艇ピラール号のアウトリガーやファイティングチェアなどの艤装もRybovichのファクトリーで行なった。「Wearefishermenfirstandboatbuilderssecond.」をモットーとするRybovich。海での経験が、スポーツフィッシングに必要な艤装のアイデアを次々に生みだし、ボート建造の設計やデザインに活かされていくのだった。

1940年代に入り、第二次世界大戦が始まると、Johnny、Tommy、Emilの3人の息子達は軍に招集され、それぞれ別の分野で技術者として訓練を重ね、多くのことを学んだ。その経験は戦後ボートヤードで活かされ、JohnnyとTommyは設計に、Emilは電装とメンテナンスを受け持つことになる。航空力学を応用したボート設計や、機械技術、電気技術をボートに応用。フィッシングの経験と融合し、数々の新しい艤装や設計のアイデアが生み出された。そして1946年、その技術はチャーリー・ジョンソンに認められ、34フィートのスポーツフィッシングボートの建造が白紙の状態で託された。翌1947年に進水した「MissChevyII」、それが、Rybovichの歴史を刻む、記念すべき1号艇となった。

そのモデルにはアルミニウム製のアウトリガー、ファイティングチェアが装備され、現在のスポーツフィッシングスタイルに通ずるデザインとなる。当然、その1号艇は、注目を集めることとなった。その後もアルミニウム製のツナタワーやトランサムドアなどがRybovichにより開発され、スポーツフィッシングのスタンダードとして受け継がれた。また、当時では珍しい20ノットを超えるハイスピードの船体設計や、後に開発されたコールドモールドによる建造工法も一早く取り入れるなど、常に時代に即し革新的な変化を遂げてきた。その乗り味や性能はチャーターボート・キャプテンやビッグゲーマー達に支持され、そして、多くのカスタムボートビルダーがRybovichの影響を受けることとなった。

復活を遂げたRybovich

その後、Rybovichは苦難の時代を迎える。一度はファミリーから資本が離れ、かろうじてRybvichMarinaで建造を続ける日々。だがそれも、資本家の判断により、2005年には造船業に終わりを告げた。再び明るい兆しが戻ったのはその5年後のこと。カスタムボートビルダー「Rybovich」の伝統を絶やさぬため、2010年、3代目のMichaelRybovichにより、新生「Michael Rybovich&Sons Custom BoatWorks」と名称を変えて再始動。こうして、その伝統が受け継がれたのだ。

MichaelRybovichのファクトリーはパームビーチガーデンズのアイドルワイルドロードの終点、ノース・パームビーチ・ウォーターウェイに面したボートヤード。2010年ここに移転し、「MichaelRybovich&SonsCustomBoatWorks」として再スタートを切った。

ヤードの横には、大木が木陰を作る緑のガーデン。Michael自ら刈る芝に囲まれたレモンイエローの建屋が「MichaelRybovich&Sons」のオフィスだ。パームビーチの空の色にとけ込むペールカラーの外観にフロリダスタイルのラナイ。ペールブルーの壁紙に藤のソファ。爽やかなインテリアがなんとも愛らしいオフィス&サロン。Michaelの人柄を表している。

芝生のガーデンの先にはメンテナンス中のボートがポンツーンに係留されている。手前にはRybovich42「BLUEFIN」。1992年にMichaelとEmilによりリビルドされたハルナンバー#35は1958年製だ。その隣にはRybovich60「HIDEOUT」。ハルナンバー#98は1997年製と新しい。そして、ポンツーン先端に係留され、引渡し間近の仕上げをするニューボートは、2016年製のRybovich86。「PERSISTENCE」と名付けられた最新のRybovich。ハルナンバーは#2。「Rybovich」としてハルナンバーを#126までカウントした後、「MichaelRybovich&Sons」として再スタートした2艇目のボート。つまり128艇目のRybovichとも言える。

陸上のヤードもメンテナンスのボートで満杯の状態。昨年本誌9月号で紹介したハルナンバー#2、1949年製の37フッター「LEGEND」は、エンジン乗せ換えのために上架中。その隣には、ハルナンバー#115、1995年製の45フッター「GRIFFIN」がバーニッシュの仕上げ中。ハルナンバー#85、1986年製の60フッター「SeaCup」、ハルナンバー#26、1957年製の36フッター「Havana」はレストア中。さらにスロープの横には「Rybovich&Sons」時代のハルナンバー#122、2006年製の65フッター「CoralC」が磨き上げられていた。他にも船名は確認できなかったが、2艇のRybovichがシュリンクで囲まれ、ハルの全塗装とトランサムの塗り替えが行われている。そして、工場の中にもう一艇。トランサムの塗装が塗られていないボートが「MichaelRybovich&Sons」のハルナンバー#3となる68フッター。デッキとキャビンが載せられ、インテリアとエクステリアの建造をはじめたばかりの、まだ生まれる前のRybovichである。丁寧なライボビッチクオリティの建造過程を見る事ができる貴重なRybovich68。これからの過程が楽しみな一艇だ。

Rybovichを所有すること、それは69年の永い歴史を持ちながらこの世に127艇しか進水していない貴重な遺産を手に入れること。その一艇を見るだけでも稀なことというのに、「MichaelRybovich&Sons」のファクトリーでは、この日だけでも8艇の貴重なRybovichを確認することができた。ここには常に数艇のRybovichがメンテナンスのために集まる。歴代の銘品を間近で見る事ができるミュージアムのような場所なのだ。

Rybovichは、古ければ古いほどリスペクトされ、所有者同士のつながりやビルダーとのつながりが他のボートビルダーよりも強い独特の文化を持つ。それが、「RybovichisRybovich」と言われる所以なのだ。

資本家が変わり、苦難の時代を乗り越えてきたRybovich。だが、本物が持つ輝きは保たれ、朽ちる事なくそれぞれのオーナーの元で今も愛され続けている。伝説の「Rybovich」は、一流の価値を落とす事なく、すべては「MichaelRybovich&Sons」に引き継がれ、完全に復活した。P.B.

Michael Rybovich & Sons Custom BoatWorks
2175IdlewildRd,PalmBeachGardens,FL33410
TEL:(+1)5616279168
FAX:(+1)5616279165
Email:mrybovich@michaelrybovichandsons.com
http://michaelrybovichandsons.com