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バリ島で最も神聖なアグン山を望む癒しのリゾート「アマンキラ」

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1988年、タイのプーケット島に世界初の「アマンプリ」が創業して以来、アマンを狂信的に愛するトラベラーたちが世界中に次々と現れた。やがてそれは世界的潮流となり、彼らは“アマンジャンキー”と呼ばれるハードユーザーとなった。どれほど辺鄙な場所であろうと、時間がかかろうとアマンを目指すトラベラーたち。そのアマンは、たとえばプールへの水の注ぎ方、バスタオルの掛け方ひとつにも心配りを欠かさない、真摯でクリエイティブで、滋養に満ちたリゾートなのだ。中でもバリ島「アマンキラ」のインフィニティプールは美しく、30年以上が経過した今も特別な存在感を放っている。

text:Kyoko Sekine
photo:AMAN
special thanks:AMAN https://www.aman.com

リゾートの価値は規模の大きさや施設の豪華さだけでは測れないゲストへの温かな心配り、独自性を放つ唯一無二の施設造り、幸せに満たされる空気感理想のリゾートを求めて、再び“水の宮殿”アマンキラへ!

2023年の晩夏、酷暑続きの日本を飛び出しバリ島に向かった。バリ島は土地の多くを熱帯雨林やヤシの木々など森林に覆われた熱帯モンスーンの島だ。訪れるたびに蒸し暑いイメージを抱くバリ島だが、実は、8月末頃は乾季の真っただ中にあり、涼しく快適な気温の日々が続いていた。毎日の気温は26°Cから28°C、湿気が少なく涼しげな爽快さに包まれていた。

バリ島は地域によりバラエティに富んだ情景が広がり、勇壮な火山もあればなだらかな棚田が穏やかな情景を魅せる。またヤシの木のジャングル、渓谷など、美しい中央部のウブド地区から東側や西側の海岸線沿いのビーチリゾートまで変化は観光客を魅了してやまない。さらに断崖絶壁に建つ荘厳なウルワツ寺院などダイナミックな情景にも富み、常に世界中から観光客が絶えない。

そんなバリ島で比較的開発がゆったりと進む島の東側、風光明媚なマンギス地区に佇むリゾート「アマンキラ」へ向かった。アジアならではの独特なアマン流サービスに浸りたいと願う高揚感もあり、さらにその翌日、憧れのラグジュアリーボート「AMAN DIRA(アマンディラ)」に乗船する機会を得たこともある。

日本からバリ島への到着時、久し振りに降り立った新空港の変貌ぶりに驚かされた。かつての“ングラライ国際空港”は素朴で伝統的な建物であり、随所に民族楽器ガムランのBGMが聞こえ旅情に溢れていた。今回、バリ島の飛行場は巨大で世界レベルのモダンな新空港と化し、開発の速さに驚かされた。

空港からアマンキラまでは車で約1時間半、まっすぐマンギス地区へと向かう。アマンキラは、周囲を熱帯雨林に覆われ、海に突き出す半島の高台からビーチまでの急斜面を利用して造られている。リゾートに着くや否や、出迎えのスタッフからは、「ウェルカム・バック!7年ぶりの訪問ですね」と挨拶を受けた。時の流れはなんと速く、新空港の変わりようも納得であった。

アマンキラの開業は1992年。すでに30年を経過したとはいえ、古びた印象は皆無のリゾートである。敢えて言うならば、説明のできない風格が感じられたこと。アマン流の温かなもてなしやゆったり感は旅の疲れを忘れさせてくれる。リゾート内はハイシーズンらしくゲストで賑わい、様々な国の言語が聞こえてきた。当時のアマンは、南アジアで衝撃的なデビューを飾った初のアマンプリ創業以来、“南アジアから世界のラグジュアリーリゾートの概念を変えた”と、世界中の旅行雑誌やメディアで絶賛されていた。アマンキラ創業は1992年、アマンでは3軒目となるリゾートであり、その名はサンスクリット語で“平和なる丘”の意味がある。まさに、アマンキラに滞在するゲストはこの平和なる丘で滞在の歓びを享受し、心穏やかに“贅ある時”を過ごしている。

ocean suite terrace 2.tif

かつてアマン創業者は筆者とのインタビューの中でこう語っていた。「地球上には似通ったライフスタイルを送る人がいるが、彼らに共通する点がひとつあるとしたら、それはアマンに強く惹かれる感性を持ち合わせていること。どうしてもアマンに通ってしまう“何か”を持ち合わせていることだ」と、理屈ではなく感性だと語った。私たちはアマンでしか味わえない“何か”を求めて飛んでくる。筆者もすでに25年以上、アマンマジックにかかったままでいる。

遠い昔の話で恐縮だが、開業当時のアマンキラは、先に誕生したアマンプリ、アマンダリなどと同様、ゲスト1名に対し4人のスタッフが対応するという贅沢なもてなしが話題となっていた。アマンキラでは、現在も客室数33室に対し、200名を超えるスタッフが雇われ、その7割近くが地元民という。地元のことを熟知し、土地の慣習や地域の祭りや催事、伝統を幼少時代から身に纏うスタッフの存在こそ“アマン流”のもてなしには欠かせない。

さて、アマンキラについてもう少し紐解いてみよう。海に落ち込む半島の高台の斜面を利用して建つ客室(ヴィラ)は、バリ島の伝統的な海の家を模した高床式の建物だ。三段のプール同様、スタイリッシュでユニークなデザインは世界的建築家のエド・タトルが造り上げた。急斜面の敷地に点在するヴィラからは、下方のレストランやプールのあるメイン棟まで階段や複雑な通路が張り巡らされている。歩くことは可能だが、客室からどこへ行くにも送迎車の往来が頻繁に行われている。

アマンキラの建つ半島は、前面にロンボク海峡、周囲に熱帯雨林、そして背後にバリ島最高峰の神聖なアグン山(3,031m)が聳えるというドラマチックな環境の中にある。しかもこのマンギス地区のある東海岸は、かつてバリ王国が繁栄した地域であり、周辺は古くからの歴史と伝統が今に継がれている。ずいぶん前のことだが、かつてアマンキラで偶然に建築家のエド・タトルに出会い、短い会話を交わしたことがある。彼はアマンキラをデザインするにあたり、「17世紀に栄えたカランガッセム王朝時代、アナ・アグン・アングラ・クトゥ王が頻繁に滞在した“水の宮殿”にインスパイアされた」と、確かに語っていた。今回の旅では、その言葉を思い、エド・タトルへのオマージュとして「水の宮殿」を改めて訪れた。アマンキラの三段になったインフィニティプールは、“水の宮殿”の最上部から見晴らすロンボク海峡の情景を想ったのではないだろうか。

アマンキラには隠れ家的な場所にプライベートな印象のビーチクラブがある。メイン棟のある高台から、隣り合うもうひとつの半島の間に位置し、両サイドを高い崖に囲まれた「The Beach Club」だ。ヤシの木に囲まれたこの隠れ家的なビーチクラブには、プルメリアの木陰にスイミングプールもある。この場所を基地としてウォータースポーツのほとんどが提供されている。ビーチにはバレ(東屋)も設えてあり、そこでドリンクや軽食も可能。潮風に包まれバレで過ごすひと時はゆったりと過ぎてゆく。

実は、ビーチクラブを利用する華やかなウェディングも実施されている。すべてを貸し切りにしたドラマチックな環境でのウェディングはアレンジも自由という。バリ島ならではの神聖な伝統儀式を組み込むことも可能。ガムランなど伝統音楽の演奏の中、煌びやかな伝統衣装に着飾った子供たちが祝福の花びらを撒く。バリ古典舞踊(オレグ・タンブリリンガン、レゴンなど)もリクエスト次第といい、証人は聖なる山“アグン山”というから映画のワンシーンのようなロマンチックな挙式である。

一方、リゾート滞在での大きな楽しみとして食事の存在がある。メインプールの上階にあるレストラン「The Restaurant」、メインプールの横にある「The Terrace」(朝と昼)、ビーチクラブでのブランチやアフタヌーンティー、そしてバーでも軽食は可能だ。とはいえ、アマンではリクエストをすれば、可能な限り敷地内のどこでも食事ができる。ビーチ、ヴィラのテラス、プールサイド…。アマンの考える“贅”は、食事に限らず、なんでもリクエストをしてみること。そしてスタッフはゲストに真摯に尽くすこと、いつも人の手を介する温かなもてなしを提供することに尽きる。そんなアマンのサービスに、世界中のアマンジャンキーからは“高得点”や、精いっぱいの誉め言葉が授与されるのだ。P.B.

■ Amankila 
TEL: +62-363-41333 
日本語フリーダイヤル 0120-951-125 
https://www.aman.com/ja-jp/resorts/amankila