強いアメリカが求められる今日この頃。その昔、アメリカは実に真っ直ぐで、ダイナミックで、センスも良く憧れた。巨匠ジョージ・ルーカスが若き時代を回想した映画『アメリカン・グラフィティ』には、青春時代の甘美なエピソードが、タイトル通り落書き(グラフィティ)のように綴られていた。今回は映画の都ロサンゼルスから西海岸を北上し、マリリン・モンローの住んでいたホテルや、ジョームズ・ディーンが活躍したロケ地の空気感を味わいながら旅をしてみた。






モンローの「アバロンホテル」


 昼過ぎにロサンゼルス空港に到着。予約していたUBER(インターネット・タクシー)に乗り、インターネット予約サイトのエクスペリアで予約していた「Avalon Hotel Beverly Hills(アバロン・ホテル・ビバリーヒルズ)」にチェックイン。最近の旅のスタイルはIOT(Internet of Think)が便利に発達して、旅そのものが変化してきている。ちょっと散歩に出たハリウッド通りは、映画の都だけに、歴代の名俳優たちがところ狭しと飾られていた。
 そのひとりでロサンゼルスに生まれたマリリン・モンローは、自由豪快に36年の生涯(1926年6月1日 – 1962年8月5日)を生き抜いた。第二次世界大戦下、16歳で高校を中退して、最初の結婚をする。19歳のとき、航空機部品工場で働いていたモンローの写真が陸軍機関誌に掲載されたことがきっかけとなり、ハリウッドへの道に進むことになる。
 


「アバロンホテル」はビバリーヒルズの中心に位置し、マリリン・モンローもお気に入りだったとてもスタイリッシュなホテルである。そしてなんと言っても、数年間、彼女の一時的な隠れた住まいとなっていたことだ。おしゃれなプールテラス、プライベート・キャバナ、また、カリフォルニアモードの「Oliverio」というレストランがある。モンローはホテルに住むことで孤独な寂しさを紛らわしたのかもしれない。
 客らはワイワイとプールサイドでドライ・マティーニを飲みながら、ホップアートの洒落た雰囲気を味わう。足元を見ると、いつのまにか鳥たちが忙しくパンくずを探して右往左往している。それをまるで笑うように西陽がキラキラと水面に反射して輝いていた。映画のワンシーンのようだ。乾燥した天気と空気感が実にリラックスできるロサンゼルスならではの雰囲気だ。彼女の伝説的な名言に、「ときどき嫉妬をしない結婚生活なんてひどく味気ないわ。でも、嫉妬はステーキにかける塩のようなもの。ほんのちょっと必要なだけ」とある。ステーキを食べるときは思いだしそうである。

サンセットブルーバードからビバリーヒルズを南下してオリンピックブルーバードの左手に、とてもとてもチャーミングな「アバロンホテル」が現れる。マリリンはこの雰囲気を愛し、一時期ここに住んでいた。



映画の都ハリウッドからサリナスへ


 爽やかな朝を迎えて、ロサンゼルスからPCH(パシフィック・コースト・ハイウェイ)をレンタカーで北上し、モントレー経由でサリナスへ向う。PCHのメインはサン・シミオン(San Simeon)からカーメル・バイ・ザ・シー(Carmel-by-the-Sea)までの約150km。特に景観が美しいことで有名である。セントラルコーストの海岸に沿うビッグサー(Big Sur)の霧に包まれた雄大な姿はダイナミックだ。ブルーオーシャンの絶景は西海岸の美の代表であり、このずっと先の遠くに日本があると思うと望郷にかられる。綺麗なアイスプラントが咲くモントレー湾を左に見ながら、ノーベル賞&ピューリッツァー賞作家ジョン・スタインベックが生まれたサリナスへ到着した。

 スタインベックは、1902年2月27日にカリフォルニア州モントレー郡サリナスで生まれる。文学好きの少年であり、高校卒業後、1920年にスタンフォード大学に入学するも、牧場や道路工事、砂糖工場などで様々な労働を経験。この時の体験が彼の小説の世界観に現れていった。数ある映画化された作品の代表作は『エデンの東』(1955年公開)だ。南北戦争から第一次大戦までの時代を背景に、聖書の物語とカリフォルニアの一家族の歴史を描いた名作である。ご存知、主演はジェームス・ディーンである。撮影後立て続けに『理由なき反抗』『ジャイアンツ』出演をこなし、アカデミー賞主演男優賞候補の常連になり将来を不動のものにしたが、不運にもロスからサリナスへ向かう途中、愛車であるシルバーのポルシェ550/1500RSでカリフォルニア州道41号線にて、対向車と激しく激突して24歳で永眠してしまった。多大な影響力とずば抜けた演技力でハリウッドを代表する俳優が主演した映画『エデンの東』の舞台を訪ねて見ようと、ハンドルを握った。



Mendocino メンドシノ



 メンドシノに行くことにした。サンフランシスコから北上するため、まずは真っ赤なゴールデンゲート・ブリッジを渡り、海沿いにPCHと128号線とを車でだんだんとレッドウッド(セコイア杉)の林に入って行き、3時間ほど走ったところにある海沿いの田舎町がそうだ。主役のジミーが座っていたデッキや銀行でのシーンや遠くを眺めた岬などがそのままだ。通りを隔てた所の人気のホテル「リトルリバー・イン」も『エデンの東』の記念館になっていた。
 ここはワインの名産地でもあり、特に沿岸のなだらかな丘や、そびえ立つレッドウッドに囲まれたブドウ畑などの多彩な風景が美しい。海に近い涼しい気候で知られるメンドシノ郡のワインは、景色が美しいだけではなく、少量生産のブドウ畑でオーガニック栽培と、持続可能な農法を行っている。

西海岸の穏やかないつも変わらない景色を映し出すメンドシノの岬。『エデンの東』の撮影地メンドシノは、ワインの産地としても知られる。



Monterey モントレー

 キャナリーロウは海岸通りの名称で、その昔はイワシの缶詰工場が並んでいた。スタインベックの小説『キャナリー・ロウ』の舞台にもなった。もちろん『エデンの東』のロケ地にもなっている。モントレーの港町でいかがわしい酒場を経営しているケイトを尾行していたシーンだ。



Salinas サリナス


ジェームズ・ディーンがポルシェで事故死したJames Dean Memorial Junctionの近く、「Jack Ranch Cafe」にあるモニュメントの樹には今も訪れる人々が絶えない。

 映画の舞台になったサリナス。冷凍保存したレタスを東海岸に運ぶ商いをして大儲けすることを狙って、貨物列車で東部の市場へ輸送したが、その途中で峠が雪崩で通行不能となり、列車内で氷が溶けて野菜が腐ってしまい大損害を追い、また一からやり直すシーンだ。戦前に日系人も多く移住し、苦労を重ねながら素晴らしい農園を生んだ。しかしながら、第二時世界大戦で全ての財産を没収され、マンザーナ日系人収容所に収容された。今は戦後復活を遂げて、多くの日本人経営の農園が存在する。そういう歴史的な運命を持つ町なんだろう。中心街にはスタインベックの生家でビクトリア調のゴージャスなスタインベックハウスがあり、今はレストランになっている。そこにはアイデアマンの彼が考案したスタインベックレモネードが存在する。レモネードとアイスティーをミックスしたもので、これが実にうまいので日本でも是非広めたい。ついでに朝飯のスタインベック・スペシャル・パンケーキも最高だった。

サリナスにあるスタインベックの生家は今はレストランになっている。キャベツ畑が広がり、彼が眠る墓地も。

 ナショナル・スタインベック・センターには、いろいろなデータが保存されているが、代表作の一つ『怒りのぶどう』の基本になった『ルート66』をマザーロードと呼んでいた。そして「私は自分自身の国を知らないと悟り、作家としてアメリカを書く際は記憶が頼りだったが、その記憶ときたら不確かで歪んだ蓄積なのだ。だから旅をする」というエッセイがあったが、僕自身も全くもってその通りだと納得。最後に、スタインベックの好きな言葉は「It was a journey」だった。彼の人生も、私たちの人生も旅である。様々な出会いが、私たちの人生を豊かにしてくれる。

AVALON HOTEL BEVERLY HILLS
9400 W Olympic Blvd, Beverly Hills, CA 90212
TEL: +1 310-277-5221
http://www.avalon-hotel.com/beverly-hills

■TRAVEL INFORMATION
カリフォルニア観光局
http://www.visitcalifornia.jp


photo & text: Naonori Kohira
special thanks: VISIT CALIFORNIA
http://www.visitcalifornia.com

http://palmilla.oneandonlyresorts.com
PerfectBOAT 2017年3月号掲載/※データは掲載時のものです]